私はこれで”うつ”になりました・・・。

2012年11月29日、午前中に東京本社とテレビ会議をやっている最中、激しいめまいと手足のしびれが私を襲いました。体調不良を同僚に言い残し会社を出ました。会社を出てすぐ妻に電話しました。「もうダメかも。家にかえるね。」そう告げると涙が溢れそうになりました。最初は何のことか理解できなかった妻もピン来たらしく「大丈夫だよ、早く帰っておいで」といってくれました。そうです。典型的な「うつ 」です。以下、ノンフィクションの体験談となります。文才がないのでまとまりがなくてすいません。

私の仕事

IT関係の会社に勤務しています。
企業向けシステム構築をメインとするシステムエンジニア です。
地方勤務で上司と勤務地が離れているケースが多かったこともあり、仕事上でトラブルがあってもあまり人には相談せず、一人で解決 して来ました。


私の環境

大学卒業後神奈川の会社に就職しました。妻とはその時に知り合い、1996年に結婚後、1998年に私の実家に程近い地方に引っ越して来ました。
その後二人の子供がうまれ、一戸建てを購入。完全にその地方に根を張る体制を整えて来ました。


妻の体調不良

2006年、妻がとある病気になり県立の病院で手術をしてもらいました。しかしその後体調が優れず、他の医者に診察してもらったところ医療ミスがあったことが分かりました。
その問題点を取り除きはしましたが、その間の心労などもあり、パニック障害 となりました。度々発作(胃の痛みを訴える)が発生するようになり、病院に緊急搬送することもこれまで数回ありました。


大型プロジェクト発足

2007年、ある大型プロジェクトの受注が東京で決まり、そのマネージャーを誰がやるかという話になりました。
東京で適任者がおらず、地方で働いていた私にお声がかかりました。東京への出張機会が増えることが気になりましたが大型プロジェクトを任してもらえるという嬉しさもあり引き受けました。


単身赴任

大型プロジェクトはいままで担当した中でも最大規模で、想像以上に大変でした。週3日東京に出張 し、問題が起これば週末もそのまま東京に残る、と言った生活が1年続きましたが、2008年、ついに上司から「東京に転勤しないか」と打診されました。
今のプロジェクトを円滑に進めていくことと、管理職に昇進することを考えると東京で活躍したほうがよい、とのことでした。正直、昇進に多少のこだわりがあったのは事実です。
しかし、妻は体調が万全ではなく生活環境を変えることによる症状の悪化を心配し、単身赴任 することを決意しました。


想像を絶するプロジェクト

大型プロジェクトの推進は困難を極めました。
想定外の問題が多発し、その対応に苦慮し、顧客への説明も満足にできない状態となり、徹夜が当たり前の毎日 が続きました。それでも休日が取れたら必ず、自宅に新幹線で帰るという生活を続けました。
このようなプロジェクトなので「うつ」になりリタイアしたメンバーも複数名でましたが、「私が倒れたら総崩れになる」という責任感だけで私は持ちこたえました。でも今思うとこの時、精神的なダメージをかなり受けていたのではないか と思っています。


管理職への昇進

2009年、上記プロジェクトは犠牲者を出しながらも収束させることができました。
プロジェクトそのものは失敗でしたが、その際の頑張りと、このプロジェクトに入る以前の業績が評価され2010年に管理職に昇進しました。更に翌2011年課長職を経験しました。副課長を経験せず、いきなり課長職を命じられたわけですが、前課長のフォローもあり、また部下もそれまでの同僚がそのまま残っていたので、大きな問題もなくほぼ予算どおりまっとうすることができました。


地方へ戻る

2012年度の組織をどうするか、という会議に課長として参加していた時の事。
部長から地方組織をどうするか、という話題が出ました。地方組織をなくす、という話ではなく強化しなくて良いのか、という話題でした。営業を何人か持っていくか、といった話の中で部長が「この中で地方に行きたい奴はいるか 」との投げかけがありました。全く予想していなかった展開だったのですが、地方復帰を常に考えていた私は迷わず手を上げました。
そして2012年めでたく地方に復帰することができました。副課長として私だけ地方に戻り、課長とメンバーは東京にいるという体制です。ただ、副課長と言っても組織の関係上、とあるソフトウェアパッケージの開発側責任者というミッション を授かり、事実上課長と同等の動きが求められることとなりました。(ちなみに東京の課長は別のソフトウェアパッケージの開発責任者になっています)


地方拠点の位置づけ

新組織になり週一回東京で管理職が集まって予算達成に向けた数々のアクションについて議論する会議が設けられました。
私も毎週東京に出張することになりました。
この会議の議題の一つとして「地方拠点の意味」について整理し報告 する、というテーマが設けられました。
地方拠点の意味について営業部長に報告し、理解していただくというのが一つのゴールと考えていました。営業部長としては本部長から地方拠点なんか要らないのではないか、と突っ込まれた時に速やかにその必要性を答えられるように準備しておきたいということだと説明を受けており、気合がはいりました。
ただ、営業部長に説明する前の段階でいろんな人からの意見が入り、方向性が見えなくなって来ました。また、営業部長として求めているものは開発組織としてのものではなく、営業組織としての論点であり、私の専門分野ではありません。それでもお前がまとめろというプレッシャー がかけられてきます。
それでもなんとか体裁を整え営業部長に説明できるところまで来た矢先になんと、営業部長が入院してしまいました。
この説明を本部長に理解してもらわないと2013年は地方組織がどうなるかわからない、といった話も出てきて精神的にかなり追い詰められて きました。


自己解決できないことの葛藤

東京で何か問題が発生した時の判断を求められるケースが出て来ました。
東京にいたときは、関係者を集めて事情を聞き、必要に応じて部長に相談して判断、対応を行なっていました。しかし、地方にいるとメールで「どうにかしてください」と無責任とも取れるメールが担当者から来て、それと前後して営業課長から「一体どうなってるんだ、お前の部下は」と電話がかかってくる 。わけがわかりません。
毎月組織ごとにPLをまとめて実績報告を行いますが、予算との差異の説明を求められます。これも営業課長との意識合わせが必要となってきます。予算どおりに行っていれば良いのですが、差が出てきた時に対策をどうするか、という事を考えなければ行けません。当然営業としては数字を上げるために案件をこれだけとってきます、と宣言しますが、それだけの案件を開発するためには要員の手配が必要です。でも営業が数字を確約してくれない限りは要員の手配もできません。そんななかで要員を追加することになったのですが、地方案件も多数出てきたことから地方での要員追加を課長に相談したところ、地方に増員するより東京に集中したほうが良い との意見がでてきました。


体調の変化

次々と降り掛かってくる課題をどのように解決していけば良いのか、今まで当たり前にできていたことが、できなくなってきました 。それは課題に対する判断だけではなく、仕事全般に対してです。
また、相当疲れているためか夜寝付きは極めて良いのですが明け方4時〜5時頃に目が覚めてしまい、仕事のことで頭がいっぱいになります 。そうなるの寝付けなくなり、眠りの浅い状態で朝を迎えます。
また、会社でも不安材料が出てくるとめまい(脳みそが全体に外部圧力がかかっている感覚)と手足のしびれ が発生するようになりました。もうこの時点で病んでましたね。間違いなく。


追い打ち

東京で大型プロジェクトの話が舞い込んで来ました。私がぼろぼろになりながらやった案件規模と同等かそれ以上のものです。見積もりを出す前に社内レビューを行う必要があるのですが、金額が大きいため本部長への説明が必要となります。その際にプロジェクトマネージャを誰にするか、という話になり、私が不在の会議で、「私がやる」という事が決まってしまっていました
そのプロジェクトを担当するということは、また、東京に行くということです。
本部長へ説明を行う前に事前レビューをやるということでテレビ会議に私だけ地方から参加しましたが、気分がとことん落ち込み一言も発することができません。会議が終わり、テレビ会議を切る直前、開発部長から「あいつがプロジェクトマネージャーなのになんで一言も喋らないんだ?」という声が聞こえました。テレビ会議が切れると同時に私の気持ちも音を立てて切れました


リタイヤ。そして適切な妻の対応。

冒頭に書いたとおり、上記会議終了後会社を出て自宅に帰りました。
経緯を妻に話しているうちに涙が溢れて来ました。頑丈に作られたダムに大量の土石流が流れ込み一気に決壊したような感じでした。妻は話を聞いてくれて、「これまで一生懸命頑張ったんだから少し休もう 」といってくれました。また、一緒に心療内科に行こうといってくれました。ただ、その日は時間も中途半端でどこの病院に行けば良いかもあたりがつかなかったため翌日病院に行くことにしました。
その日は早々に寝室にこもり、長い夜を過ごしました。


診療内科受診

自宅近くに評判の良い診療内科があり、受診しました。妻も一緒に来てくれてドクターにこれまでの経緯など説明してくれました。私も自ら話そうとしましたが、また、号泣してしまい、話になりませんでした・・・。
会社に長期休暇制度があることを説明するとドクターも安心したようで、ゆっくり直して行きましょう 、といってくれました。正直すぐにでも会社復帰できるなどと言われないかものすごく不安でしたが、ようやく肩の荷が降りた気がしました。


長期休暇

IT関係という職場の特色かもしれませんが、結構同様の症状になる人が多く、会社にカウンセリングルームがあり、産業カウンセラーの方がいらっしゃいます。
カウンセラーの方が毎月1回地方に出張して面談をしており、2012年12月上旬に面談をすることになりました。その際に毎月1回面談をして、その時の状況を見ながら復帰時期を決めるという説明を受けました。これまでのケースでは短くても3ヶ月程度は休暇をとってから復帰するとのことでした。「まず、やり残した仕事のことは綺麗さっぱりすべて忘れること 」との話があり、素直に従いました。


考え方の転換

会社から携帯を持たされており、また、自宅にも会社のネットワークに接続できるパソコンを置いていました。
これまでは常に会社のメールを気にしたりしていましたが、電源を入れることすらしませんでした。というか、私がリタイヤしたことを知らない顧客などから連絡が入る可能性もあり、その恐怖から抜け出すための対策です。
また、薄々感づいてはいましたが、私がいなくても会社はびくともしません。メンバーに負担がかかることは間違いないですが、それも気にしない事にしました。「これまで助けてあげたこともあるし、今回は宜しく 」と思うことにしました。


何をして過ごすか

2〜3日は医師からの指示通りずっとゴロゴロしていました。しかしただゴロゴロしていても余計なことを考えてしまいます。また、妻に相当心的負担をかけていることは明らかでした。
私がリタイヤする数日前たまたま、「太陽光発電に興味がないですか」とヤマダ電機が電話をかけてきていました。週末に会う約束をしていたのですが、こんな状況ではキャンセルするしかないなと思いましたが、気分転換も兼ねて検討してみようかなと思いました。また、妻が「風呂をリフォームしたい」と言い出しました。確かに冬場は湯船のお湯がすぐ冷めるし洗い場も寒いのです。ということで長期休暇の間はこれらの業者との交渉を私のミッションとして生活することにしました
もともと家電製品などを購入するときもいろいろ調査して商品選定し、ネットで価格を調べ、量販店と値引き交渉し、といった作業は大好きです。今思うと風呂のリフォームも、リラックスできるスペースを作るという点と、そういう私の性格を考えた妻が私の役割を作るという二つの考えから言い出してくれたのかもしれません。うまい具合にこの作業が私の思考を前向きにしてくれました


仕事以外の楽しみ

産業カウンセラーと月一回面談するのですが、今後長く続けられる趣味を持ちなさい 、と言われました。確かにずっと家のリフォームをするわけにも行きません。
もともと趣味が全くありません。
中学生の頃はパソコンが趣味でしたが、仕事になってしまいました。もちろん自宅にパソコンはありますが、一般のかたと同様の使い方しかしておらず、趣味と呼べるレベルではありません。
ゲームも好きですが、子供が大きくなってきてからは、子供にゲームばかりするなと言っている手前やりづらくなり、一旦やらなくなるとやりたいという気持ちも薄れてきます。
妻が熱帯魚飼育を始めたのですが、すぐ飽きてしまいました。熱帯魚がかわいそうなので私が飼育を取って代わるようになりました。めだかの仲間の熱帯魚は母親の胎内で卵を育て、稚魚をいきなり産みます。稚魚が生まれるのが楽しくてかなりハマりましたが、水質管理が意外に大変で熱帯魚の生存期間が短く、規模も縮小して行きました。今は小型の水槽がひとつ残っていて、飼育がとても簡単なテトラ系を飼育していますが、月1回程度水槽の手入れをする程度で趣味とは呼べません。
水泳にもハマりました。子供の頃は25m泳ぐのがやっとだったのですが、市営の室内プールに何回か通って独学で練習していたらあっという間に2km泳げるようになりました。しかし、もともとダイエット目的だったのが効果が薄く意欲も薄れて行きました。


レザークラフトとの出会い

中学時代バレーボールをやっており、妻にも進められましたが、どうも気分がのりません。
運動神経は人並みで、コツを掴むのは時間が掛かるが一旦掴むとある程度は上達します。しかし、そこから先が伸びずなんとなくつまらなくなります。
また、人見知りが結構激しく、そういう意味でも体育会系の趣味はないなと思っていました。
じゃあ分科会系でなにか・・・、と思い近所の図書館へ。
編み物、刺繍、ステンドグラス、ビーズ細工・・・。結構いろいろあるもんです。母がこの手の手芸の先生をしていたこともあり、私自身も手先はそれなりに細かいですし、モノづくりは好きな方です。なんでもいいから体験教室とかどこかでやってないかな?と思ってひらめいたのが東急ハンズです。
あそこって週末によく体験教室開いてるよな・・・。
うまい具合に翌日、産業カウンセラーとの面談が会社である予定で、会社のほどほど近くに東急ハンズがあります。面談帰りによってみました。すると「レザークラフトの体験教室を土曜日にやります 」のポスターがあるではないですか。
「革で財布とか作るやつか。いとこの兄ちゃんが学生時代にやってたな。」
男性がやっても全く違和感のない分科会系の趣味。これは良いということで、土曜日、意気揚々と体験教室に参加し、東急ハンズの狙い通り、その日に道具一式を購入し帰りました。
実際にやってみると、私にピッタリハマりました。アイデアを考え設計し、試作を繰り返し本番のものを作って、日常使える。その上道具も材料もそんなに高くない。長く続けられる趣味となりそうです。まあ、飽きっぽい性格なのでどこまで続くかわかりませんが・・・。


インターネットサイトの立ち上げ

レザークラフトをやっていると、「そのうち自分で使いたいもの全部作っちゃうと、ネタが無くなるな」と思い始めました。で、ネットをいろいろ調べていると自作の手芸作品を販売代行するサイトが有ることを知りました。
ほう、これなら小遣い稼ぎまで行かずとも、それなりの作品が作れるようになったら材料費程度の価格設定ならご購入いただけるのでは、と思い始めました。ただ、その時、より詳細な作品紹介が出来れば良いと思い、このサイトを立ち上げました。
しかし、コンテンツ作成に非常に時間がかかり、レザークラフトそっちのけになっていました。コンテンツは多いほうが良いと欲張った結果レザークラフトと待ったく関係ないコンテンツのほうが多くなってしまいました。
そして最後に残ったのが書きたくても書きづらかったこのコンテンツです。ようやく描き上げることができました。


体調管理

40歳まえ頃から時々背中が痛むようになっていたのですが、うつになる直前は慢性化していました。休暇2ヶ月を過ぎたあたりからこの背筋痛も何とかしたいと思い始めました。詳しくはこちらに書いていますが、ほぼ痛みも取れました。食欲が増し、美味しくお酒も飲めるようになったのがとても嬉しいです。
体重も理想に近づいており、維持して行きたいと思います。


自分の部屋

結婚し子供が生まれてずっと家族4人で一緒に寝ていましたが、息子が中学に入学するのを機に子供部屋を作りそこで寝させるようにしました。うつになってしばらくしてから妻が「自分の部屋っていらないの 」と聞いて来ました。私の実家には父の書斎なるものはなく、家をたてるときもそんなもの端から考えていませんでした。しかし、妻の実家には義父の書斎があります。
見たいときにテレビを見て、好きなときにレザークラフトをして、パソコンして、好きなときに寝れば良いんじゃない、という話です。ただ、そういう空間を作ると引きこもってしまいそうな気がして多少抵抗がありましたが、試しにやってみることにしました。するとこれが快適です。もちろん食事は家族ととりますが、食事中のテレビを禁止にしたことで会話も増え、子供たちの食事後、妻と話すことも多くなりました。
その後、自分の部屋に戻り1時間弱体幹トレーニングをして趣味の時間にあてるという毎日です。妻も自分の時間が持てているようで夫婦仲も少し良くなった気がします 。(別に夫婦仲が悪かったわけではないですが)。


現状(2013年4月)

約3ヶ月の長期休暇を経て2013年3月からリハビリ出勤を始めています。
最初の一週間は12時までの勤務、次の二週間は15時までの勤務、次の三週間は17時半までの勤務で、産業医の面談を経て通常勤務に戻ります。
今はリハビリ出勤中も長期休暇中に始めたレザークラフトや当サイトのコンテンツ作成、体調管理など、帰ったら何をしようか、とばかり考えています。これが果たして良いかどうかよくわかりませんが、ポジティブであることに間違いはありません。
かかりつけの心療内科医からは問題ないだろうとの意見をもらっており、あと少し、という状況です。


現状(2013年5月)

リハビリ出勤を終え、無事通常出勤に戻りました。
ただ、通常と言っても残業は1日2時間までで、出張も日帰り限定です。しかし、仕事量が少ないので残業はしばらく無さそうです。
GWは庭の大改造工事を実施したり、新たに猫が仲間入りしたりと楽しい日々でしたが、折角リハビリ出勤で慣れてきた体が元に戻ってしまいました。
ま、いっか。と軽く考えています。


最後に

このページを一番最後までご覧頂いた方は、恐らくご本人かご家族が同様の症状になられている方だと思います

ご本人の方へ

必ず治ります。時間は多少かかるかもしれませんが、焦る必要はありません。人生の夏休み だと思って、やりたいことをやりましょう。やりたいことはなんでも良いと思います。昔好きだった漫画を読んでみるも良し、ゲームをするということでも良いと思います。
「どうせ続かないし」と最初は私も思いましたが、別に続ける必要もありません。そうやっていくつか試しているうちに続くものが見つかるかもしれないので、その程度の軽い気持ちで良いと思います。

ご家族の方へ

私は心療内科医ではないので個人的意見ですが、変に腫れ物にさわるような態度はしない様に、普段どおりが良いと思います。ご本人の性格に合わせて適度なサポートをするくらいのお気持ちで良いかと思います。とは言え不安な場合は個別に心療内科医や産業カウンセラーにご相談されても良いと思います。ご家族が健康であることがご本人の改善に良い方向に働く のは間違いないと思いますので。


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